2009年2月7日土曜日

ブラックフェイス 2

 ブラックフェイスや矢島美容室など、で、当ブログでは、ある人種をネタにした変装や演技、描写などについて、まだ、つらつらと考えている。
 で、まず、 とある記事を読んでいて、そのリンクに人種的特徴を真似ることについての関連があったので紹介する。
 
 その前に最初の記事では、黒人の女の子が、自分の髪型が嫌で、ヨーロッパ風の髪型にすることについて、


Rock’s refusal to make any comment on the wrongness of black women and girls being encouraged to “fix” their natural characteristics to be beautiful works my nerves.]

自分の自然な髪型を「直す」という観念自体がいかがなものか、という問題提起である。
つまり、欧米風の直毛の方が正規で美しく、アフロヘアの方を直す必要がある髪の毛として蔑視していることにならないか、という問題提起だろう。

 いずれにせよ、それはコメディアンの人が作ったフィルムだったようであるが、以前にもこのコメディアンのネタに不満があったらしい。
彼女が言うには、


I like comics who hide message and social critique and pokes at life's absurdities among the punchlines. I like the off-kilter and the edgy. I hate broad comedy and don't get slapstick. And while I find "clean" comedy boring, I lose patience with jokes that simply parrot stereotypes or offend simply for the sake of offending


 人生や社会を風刺するようなお笑いは好きだが、下ネタやどたばたは好きではない、と。ぶりっこのお笑いも退屈だが、 固定観念を真似て繰り返すようなお笑いや、人を怒らせることだけを目的にしたような冗談はは嫌いだ、という。

 うまいお笑いの例として、

Barack Obama is so cool and calm, Rock says, you'd think he believes a black man getting the most votes is going to mean something. After all, society has been known to change the rules when black folks are playing the game. "Good you got the most votes. Too bad you lost. We don't do it that way anymore."

 オバマさんが一番得票を獲得すると社会は変わる!!!、ーーー選挙のルールが変わって、一番得票しても当選できないルールになる! 黒人がうまくいくといつもこうさ!
 ここらへんは、日本人なんかも理解できるジョークではないでしょうか?
 
 固定観念を演じる例として、

The stereotype of the domineering, screeching black woman (and do-whatever-you-say compliant white girl) is old and tired,

黒人女性が金切り声あげて暴君的という固定観念があるそうで、それを演じられるのは飽きた、という。
ーーーいろんな固定観念があるもんですな。
以前紹介した、日本人というか、東洋人男性に関するステレオタイプのなかにも、東洋人男性が暴君的で暴力的でさえある、というものがある。こういち君がはからずも演じている(5.00あたり)のだが、憤慨するほどでもないが、たいしておもしろくもない。


 ただ、やはり、ハロー外人さんの付け鼻のように、商品として固定観念を形成・助長するようなものはいかがなものか、と思う。例えば、「ハロー東洋人さん」という商品名で出っ歯が売ってたら、いい気分はしないだろう。
 確かに、高い鼻に関して、日本ではそして欧米でも極端に高くなければ、出っ歯のように評価が否定的とは言えないが、しかし、あれが外人さんを代表すがごとき、固定観念を形成・助長するという点では好ましくない。

 とはいえ、出っ歯や、高い鼻にする変装自体が悪いとも言い切れない。そこで、少なくとも
 
 人種やある国民に対する固定観念を形成・利用・助長するような商品名は廃止すべきである

 と考える。



 海外で現在進行中の事件として、


サッチャー元英首相の娘、差別発言でBBC番組降板
2009年 02月 5日 13:15 JST

[ロンドン 4日 ロイター] 英国放送協会(BBC)は4日、マーガレット・サッチャー元首相の娘でレポーターのキャロル・サッチャーさん(55)が、差別的な発言を理由に番組を降板すると明らかにした。

 BBCのスポークスマンによると、サッチャーさんは1月29日、出演する番組「The One Show」の放送終了後、テニスの全豪オープンに出場していた黒人選手について、黒人の差別用語とされる「golliwog」と発言。これを聞いた同僚やゲストらによって、上司に知らされたという。

 BBCでは、サッチャーさんがこの発言について「冗談だった」として謝罪を拒否したため、降板を決定。しかし、契約は解除されておらず、今後もほかの番組には出演するという。ロイター

 というものがある。
golliwogについては、人種差別的失言の大臣 失職なしという投稿でも紹介した。
 で、これについては、いや、あれだけでなく、他にも抑制していかなくてはいけない絵柄や変装はありますよという意見記事もある。
Golliwogs may have been removed from the jam jars - but Uncle Ben survives on rice and Aunt Jemima on pancake mix
 例として、

Uncle Ben's Rice

Aunt Jemima

Papa Lazarou

Papa Lazarou speak to the dead(ビデオ)

などがあげられている。

他方、Golliwog は単純に子供に愛されたキャラであったし、
Golliwog began as beloved children's character

'No one here sees them as a racist product'

White liberals with race issues behind outrage over sale of controversial toy in royal shop, says family-run suppliers

この商品を販売するお店では、今でもそうであって、白人のリベラルが正義感ぶってケチつけているに過ぎない、という人もいる。

 で、コメントの中では、Steve Bellがブッシュ大統領を猿風に描くのは問題にされないで、なんでこんなのが問題になるのか、というものや、Golliwog 自体はわるくないが、例えば、ある特定の個人を指して、Golliwogs と呼称するのはよくない、という意見がある。
 一方、いや、実際、例えば、髪型が似ていたらどうか?それもいけないのか、という意見もある。

 鉄腕アトムの頭ってのは、子供の寝起きの髪型がヒントになっている、という話ーー事実かどうかわからないけれどーーーを聞いたことがある。とすれば、寝起きの人の髪型をみて、「アトム、ようやく起きたかね」というのはとくに問題発言ではないのだから、同様なことは、、Golliwogs の場合にも言えなくてはない。


 やはり、発言者、演者の意図、文脈、比定されたキャラの社会的な意味、当該社会の一般人が受け止める意味が問題になってくるのだろう、と思う。
 
 Golliwogs その他のキャラの場合、その社会的意味合いに
1)単純な可愛いお人形
2)黒人を固定観念的、かつ否定的にとらえたもの、
という両義性があるために、論争が起きる。
 ただ、2)のように受け取る人は、その人自体が黒人を固定的にとらえ、ああした肌の色や髪型など自体が悪いという偏見を前提としていないか?という疑問も残る。

 んんんんん・・・・どうなのかなあああ??

 

 女装ドラァグ・クイーンというのは一般にあまり問題にされていない。

 では、笑いをとるために、ふざけて、例えば、まじめそうな男性アナウンサーがみずぼらしい女装をした場合どうか?

 これは女性を演じるからには、女性的な徴表をまぶした扮装をするわけだが、他方、女性というもはみなこんな愚かでみすぼらしいものなのだ、という含意はない。
 この場合の笑いは、真面目そうな男性アナウンサーとその女装姿のギャップ、本物の女性とこの女装姿とのギャップが笑いを喚ぶ要素であろう。
お笑いの理論ーメモ参照。

 んんんん~~~。

 



そういえば、昔、ゼンジー北京さんという手品師がよくテレビに出ていたが、こういったものなんかも、現代ではpolitical correctnessの観点からいえば、やっぱまずい、ということになろうか?
なお、

1984年には芸名縁の地である中華人民共和国の北京にて公演した

というように彼の地でも後援して、特に問題があった、という話は聞かない。

んんんん~~~~。

 まあ、こうした事例に関して、条件反射的に駄目ええええ!!!!、というもの浅薄なので、社会的許容範囲とそうでないもの区別する規範が欲しいのだが・・・・もちろんボーダーラインのケースはあるにせよ。

 思案中なので、より多くの意見を募集しております。