もうちっと考えてみた。
固定観念の形成について、
(1) いろんな人がいるんだ、という多様性があまり認知されない集団、あるいはすでに否定的な評価を受けている集団の成員について、当該社会的で否定的と受け取られるような描写をすることは固定観念を形成しやすい。
ーーーある特殊集団の一部が行儀が悪かったり、犯罪を犯したりすると、間違った推論ではあるが、すべての人がそうであるかのような心理的連合が生じる。女装の場合、いろんな人がいるんだ、ということが現在かなり定着しているから、かなりえげつない女装をしても、女性を馬鹿にしていると受け取られることは少ないし、また、女装をしての馬鹿な演技は、馬鹿さ女性一般の馬鹿さと連合されることは少ない。
また、
(2)ある集団を描写するのに不必要にある特定な特徴・性格・動作などを付随させることを繰り返すと、それが固定観念の形成につながる。 そして、その特定な特徴が否定的なものだと、当該集団に不快感を与える。
(例・黒人女性の金切り声暴君・日本男性の暴力的暴君)
固定観念的にとらえること自体が悪いわけではない。女装するときはスカートをはくが、それ自体が必ずしもも悪いとはいえない。
しかし、
こうしてすでに形成された否定的固定観念を利用した演技・ものまね・キャラは当該集団に不快感を与える。
具体例
アームストロングさんのものまねの場合、特に否定的な描写はないから問題はない。
ゴスペラッツも然り。
日焼けさせたオバマ大統領のものまねの場合もいまのところ問題ないように思う。
矢島美容室の場合 黒人という設定で、否定的な背景を付随させている点で不適切である。
gollwog人形の場合 イギリス社会での人形の受け取り方が両義的なので論争がおきる。ボーダーラインの場合であろう。
ちび黒サンボの場合も然り。だが、日本では、サンボという言葉やあの描写自体を否定的に受け取るひとは少ない。
ハロー外人さんの場合、明らかに外人さんを固定観念的にとらえている。高い鼻が否定的か否かと両義的なので(ーーー日本では低い鼻の方が否定的で高い鼻にあこがれる場合もあるーーー)議論はあるだろうが、好ましくない。
横浜マリノスのものまねの場合 このような、真っ黒に顔を否定的にとらえるか、どうか? 欧米人は顔を真っ黒に塗ると否定的な描写としてとりやすいようであるが、しかし、真っ黒がすごくいけないという偏見がないか、どうか?・・・
ゼンジー北京さんの場合、中国で問題は起きなかったのは、ああした固定観念的な中国服自体に中国社会でも日本でも否定的な意味合いをもっていなかったからであろう。もっとも中国で、「・・・・あるよ」という言い方をしなかった、翻訳しなかった、できなかった、せいもあるだろう。(「・・・あるよ」というのは、地方の訛りと同じで、単純な固定観念ともいえるが、しかし、標準語を話さない、話せない、という否定的な意味にとられる場合もある。)
いずれにせよ、公の場でのマイノリティに関する描写はマイノリティーにもいろんな人がいるんだという多様性の社会的に認知が少ないのに比例して、配慮の必要性の度合いも強くあるべきである。
また、
とにかく、人種に関するネタをやる場合、論争が起きること可能性が常にあることをは承知しておくべきである。
付随している特徴に関して、ネガティブな意味合いの悪辣さの程度の解釈のされ方に応じて抗議も大きい。
ーーー日本人の下手な英語の発音真似るのを侮辱だ!!と思う人もいれば、あはは、と笑える日本人もいる。
もっとも、抗議あったらすぐ引っ込めるという態度も考えものだと思う。
・・・・いまのところこんな風に考えております。