2009年1月16日金曜日

How to read Derrida

How to Read Derrida
このまえ、紀伊国屋で見つけた本。
how to read Heideggerもよかったが、これもわりにいい。
すでに翻訳もでているらしい。
『デリダを読む』(富士書店・2008)
翻訳でも褒められているようだ。
 一時期猫も杓子もデリダデリダ、と言っている時期があった。その当時、グラマトロジーの英訳をかじったがチンプンカンプン。他の解説書やサールとの論争なども読んだが、なんとなくいまいち。
 おいらは、サールのスタイルが一番好きだが、ローティなどの反形而上学の流れに同調するところも大、といったところか? しかし、いずれによ、おれの身体というか、感覚のなかの日本が、そのどちらでもない、と言っている。
 なんちゅうか、むこうさんには、超越的で固定的な実在、あるいは、それ自体である実体や本質、それに対する明晰明瞭な観念、そう言ったものに対するすさまじい重力のようなものが知的伝統に作用していて、それから脱皮するのは大変なのだ。逆に、そういった伝統のないところで、反形而上学といってもなにか金髪のかつらをしてする新劇のようなよそよそしさがある。

 いろいろ面白い論点はあるが、ちょっとだけ引用すると、例えば、
昨今多元主義が賛美されるが、

the people who fight for their identity must pay attention to the fact that identity....implies a difference within identity.・・・・・the 'I" in question is my differentiation from (and relation to) my sister. That difference and rationality constitutes identity. page 22
・・・・A culture gains its self-definition through its differentiation from and relation to other people.

というように、多元主義の多といってもその一つ一つを実体化、他に依存しないで存在するものとして、みるのはおかどちがいで、アイデンティティといっても他との関係で、というより、差異が自他のアイデンティティを作っているんですよ、というわけだね。
この関連で差延とは、
It is a kind of differenciation that produces the effect of identity and of difference between those identitities.

というわけで、あるアイデンティティやアイデンティティ同士の差異の効果をうみだす差異化作用というわけだ。


で、脱構築については、

Derrida defines deconstruction as a way of dislodging hierarchical opposition by idealization and debasement



 一方を理想化して他方を蔑視して成立しているような二項関係を暴露、駆逐していくことだ、、というわけだ。

In the nineteenth century, white Eruropeas nourished their self image through justaposition with the uncivilized, native, other, for example, as in depictions of Africa and India during the era of European colonalism. page 25

というように、例えば、19世紀では、白人のヨーロッパ人の自己意識はアフリカや印度をコケにすることによって維持されたわけだ。

また、自然や純粋性、原初性、あるいは直接性などの観念が脱構築されるわけだけね。

あと、まあ、ああでもない、こうでもない、といいうか、ああでもありこうでもあり、というか、あるいは、うんこが出そうででないような、あるいはおしっこしても残尿感が残るような”テキストの解釈”の仕方を紹介していくわけだが、めんどうなのでのこのへんで。

 まあ、デリダはもうあまり参照にされなくなるだろうが、しかし、一時期一世を風靡した思想家の思想の一端を知るには良書ではないか、と、素人としては思うのである。