いわゆる、「ハーフ」についての記事である。
私が子供のころには、、ゴールデンハーフというグループがいて、ドリフなんかにでて、唄を歌ったり、お笑いをしていたのを憶えている。
Golden Half-Adam and Eve(youtube
現代でも、モデルなど外国人・ハーフとして括られているようだ。
外国人・ハーフモデル
外国人タレント、ハーフモデル
half and quater
さて、イギリスのケースであるが、両親や先祖が異なる国出身の人たちとしては、
But we are saying we are not just black and we are not just white."
単純に黒人、単純に白人ではなく、自分らは白人かつ黒人である、と。
、
The shift is likely to be most dramatic in London, where more than one in four children in inner-city primary schools is already of mixed race.
ロンドンでは4人にひとりがこのように、両親や先祖が異なる国出身の人なのだそうです。
オバマやハミルトンなど、そうした人の著名人が増えてきた。
で、一方では、
"In the past, a child of mixed race would ask their parents, 'What am I?'" said Andrew. "That was difficult for the parents because identity was so tied to race. People felt forced into telling their children that they were 'black' or 'white' - it was a social conformity thing. But I would like to tell my children that they are mixed."
以前は、白人か、黒人か、でとまどいがあったが、これからはミックス(混合)として認知されたい、という人たち。
他方、
I don't want to be called mixed race, I want to be called Ken for my achievements."
ミックスなんて呼ばれたくない。自分の実績に対して自分の個人名で呼ばれればそれでよい、という人がいる。
ぼくはどちらかというと、後者の人の意見が好きだ。以前の枠組みの区別自体(白人、黒人など)が曖昧な根拠しかないのに加えて新たな枠組みを作ってアイデンティティポリティックスの燃料にしてもしようがない。
山田くんに鈴木さんにケネディーさんにオバマくん、というだけでいい。
身体的な特徴に言及するなら、せいぜい、色白、色黒、天パーなどなど、といった感じでいいのではないか、とも思う。
確かに、日本でも片親が海外出身の子供たちは、人口的に少ないせいもあっって、身体的目立つ場合が多い。 こうした日本人の人口がふえるか、あるいは、メディアなどので露出が増えれば、ハーフ、あるいは、ミックスという認識そのものがうすれていくのではないか、と思う。
それまでは、めずらしがられる。ちょっと可哀想な気もする。
一般にどのように受け取られているのかわからない。が、格好いい、といわれることも多いようである。
different but not different 両親の出身国が異なることでいろんな悩みもでてくるかもしれない。新しいタイプの日本人だが、それがセールスポイントにならなくなるくらいに、単なる日本人の一人という凡庸な認識になっていくのがいいのではないか、と思うのである。
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