The Little Book of Philosophy
紀伊国屋で立ち読みして、時間論が気になったので買った。フランス語の翻訳で著者曰く10代の人への入門書として書いた、という。著者の意見と同意するわけではないが、日本でもてはやされるフランスの思想家の文章よりよほどまともである。(そういえば、道徳を基礎づける、というフランス人の本もまともだった。入門書にしては、かなり著者の意見が色濃い。さわり、といった感じだが、10代のフランス人が読んでいるとすれば、フランスもなかなか、といったところ。
現在は始まりもしなければ終わりもしない、絶えず、変化しながらも、過去や未来にに消え去ることもなく、持ちこたえ、持続する。(116項)。この世界の絶え間ない今が時間の客観的側面であるが、人は、その今に抵抗し、世界を回想し、また予想し、過去未来という形で把握されたものが、時間の主観的側面である、という。一つの見解ではある。
以前、 時間はどこで生まれるのか?などで時間に関する愚論を書いたが、最近、スタンフォードじゃないネットの百科事典をみつけて、そしたら、このTimeの記事が非常に総括的でわかりやすい。前にも書いたが、自分は「死」との関連で時間論に興味があったが、最近は多少興味が薄れた。そういえば、「死」に関する章もあるが、これはたいしたことない。やっぱdeathの方が面白い。
「愛」についての断章もある。これは、伝統的な、エロス、フィリア、アガペーなどの概念を紹介している。これも先ほどの百科事典のloveの項のほうが詳しい。性愛を典型とするエロスと、友情などを典型とするフィリア、神への愛、神からの愛を典型とする無償で平等なアガペ。著者は前者から後者、してもらう、ことから、してあげる、というように重点がかわっていくところに注目している。ただ、これは以前も紹介したスタンフォードの記事の方が面白い。
愛とはその対象がなんであれ、その健全な存在を気にかける、ことだ、という説(taking ourself seriously)、対象にある特徴があり、それ故に愛する価値があると信じ、その為に何かしてやり、そしてそれとともにいたい、という要求である。
うにゃ、愛とは、自分の利益や関心と相手の利益や関心の区別がなくなり、「われわれ」という独自の協同体の形成、あるいはその形成をしたいと思うことである、とする説
うにゃ、愛とは、複雑なもちつもたれつの情緒が時間的に醸成された複雑な結ぼれである。(嫌いなんだか好きなんだかわからないような夫婦の愛とはそんなもんかな、と納得する)
うにゃ、愛とは何かのためではなくそれ自体に独自の価値がある、人間の尊厳に対する称賛である、いやん、そうした価値が所与なのではなくて、そうした価値を付与することである、などなど。
おもしろい。気にかける説を中心として、私の利益のためにから、我々の利益のために、ある特徴故に、から、ある特徴にも係わらず、その健全な存在を気にかける眼差しへ、というように愛の深化をみていくと面白いのではないか、と思う。この点、憎い嫁からいい嫁への認識を変えていった姑を論じたマードックの愛の眼差しなども参考になる。[DOC] “A Note on Murdoch’s ‘Loving Gaze’
愛の効用として、 Solomonは、we bring out the best in each other. 各自のもっともいいものを引き出してくれるというが、その通りかもしれない。なによりも、生き甲斐、死に甲斐にも関係していることろが大きい・・・・やっぱ、愛だな・・・・なっ。