2010年7月31日土曜日

資料 海の命

〈小学校の実践〉
「海の命」(立松和平)の教材分析(構造よみ)

永橋 和行(町田市立小山田南小学校)

一 教材について

「海の命」は、登場人物「太一」の少年期から始まり、青年、壮年になるまでの生涯が描かれている。父親たちの暮らした海をこよなく愛する太一。その海に対する熱い思いと、村一番の漁師でありながら決してそれを誇ることのなかった謙虚な父親。そして巨大なクエに命を奪われた父親の死を乗り越えようと、与吉じいさに弟子入りする太一。与吉じいさのもとで村一番の漁師としてたくましく成長する。そして父の命を奪った巨大なクエを自分の手で捕らえ、父を乗り越えようとする太一。しかし太一はクエを捕らずに生かしてしまう。少年の時の夢に対面しながら、あえてその夢を放棄し、さらに大きなものをつかむ太一。この物語を貫いて流れるものは、一人の少年の、父親たちが生きてきた海に寄せる熱い思いであり、父の死を乗り越え父をしのぐ漁師を目指した成長の姿である。

二 構造よみ

〈 構造表 〉

◯冒頭 父もその父も、その先ずっと顔も知らない父親たちが住んでいた海に、太一もまた住んでいた。

◯発端 中学校を卒業する年の夏、太一は与吉じいさにでしにしてくれるようたのみに行った。

◯山場のはじまり 追い求めているうちに、不意に夢は実現するものだ。

◎クライマックス 「おとう、ここにおられたのですか。また会いに来ますから。」

◯結末 ……大魚はこの海の命だと思えた。

◯終わり ……巨大なクエを岩の穴で見かけたのにもりを打たなかったことは、太一は生がいだれにも話さなかった。

〈 構造の分析 〉

(発端について)

 発端は「中学校を卒業する年の夏、太一は与吉じいさにでしにしてくれるようたのみに行った。」である。理由は次の三点である。

① ここから具体的な描写になっている。

② 父の死を受けて、太一が漁師になろうと決心し、行動を起こすところである。(事件の始まり)

③ 太一とクエとの関係がここから始まる。つまりここで太一がクエをやっつけて、父の敵をとろうと決心する。

(クライマックスについて)

 クライマックスは「おとう、ここにおられたのですか。また会いに来ますから。」である。太一とクエとの関係が、最も大きく変わるところだからである。父の敵として殺す相手であったクエが、父や与吉じいさやすべての海の命の守り神として、生かす相手であると太一が気付き、決定的に変わるところである。ここより三行前にクエに対して「ほほえみ」「えがおを作った」とあり、クエに対する見方や考え方が変わったようにも読み取れるが、具体的な行動としてはっきりと太一のクエに対する見方や考え方が決定的に変わるのはやはりここになる。

三 補足

 今年の八月に行われた「夏の大会」で私は「文学作品の基礎・基本を身に付けさせる授業」の分科会を担当させていただいたが、その時に次の点について論議になったことと、主題について補足しておく。

● クライマックスは一文か。

 私は教材分析をするときも、授業をするときもクライマックスは一文で押さえてきた。今回もそれに従って上記の通りに決定したのだが、参加者のみなさんから「一文にこだわらない方がクライマックスは見つけやすいのではないか。」「二カ所か三カ所のクライマックスの候補があった場合、一文に絞れといわれても絞れないことがあり、一文にこだわらない方がいいのではないか。」などの意見が出された。一方「一文に絞ることでより文章を深く読み込み、どここそが最もクライマックスにふさわしいかを吟味することになるから、一文に絞る方法は有効ではないか。」という意見も出された。

結論は出なかったが、私はやはり一文に絞ることにこだわりながらも、『作品によって最も大きな事件(関係)の変化、つまりクライマックスの形象が二文以上にわたって叙述されている場合は一文にこだわらない。』などの論議も行う必要があると思った。

そしてその観点でいうと、「海の命」のクライマックスも私が提案したところでだけではなく、その前の「水の中で太一はふっとほほえみ、口から銀のあぶくを出した。もりの刃先を足の方にどけ、クエに向かってもう一度えがおを作った。」もクライマックスではないかという意見がかなり出された。(たまたま分科会に参加された西郷竹彦氏も『両方ともクライマックスでしょう。』と助言をいただいた。)

● 主題について

 最後に「海の命」の主題を示す。次の二点にとらえた。

① 与吉じいさの弟子になり、修行を積み腕を上げる太一。やがて父の命を奪ったクエとの戦いを通して、少年から青年、そして父を乗り越えて一人前の漁師になっていくという「一人の人間の成長」がこの物語の主題である。

② クエを捕らえることを夢見ながら、そのクエに父を見、大自然の命を見る。そして生涯を通してその命を守り通す。人間は自然と共生しなければ生きていくことができないという「人間と自然の共生」がもう一つの主題である。(「読み研通信」77号、2004年10月)

August 09, 2008

「海の命」(立松和平)をどう読むか?


「海のいのち」って要するにどんな話なのだろう。

1)尊敬する父親と同じ道を歩もうとする作品

2)尊敬する父とは違う道を歩もうとする作品

3)尊敬する父親を奪ったものを追い求める作品

4)さまざまな人に出会い、成長していく作品

5)自然の偉大さに触れる作品



(3) 人間は・・・,世の中は・・・,という書き出しで,自分の考える主題をまとめなさい。できた人はノートを持ってきなさい。

・ 以下は,板書された子どもたちの意見。
☆ 人間は,苦しみを乗り越えて成長するもの
☆ 人間は,自然と共に生きていかなければならない
☆ 人間は成長するごとに,優しさやいろんなことが身に付いていく
☆ 人間は,悲しみや憎しみを乗り越えて成長する
☆ 人間は自然と一緒に行き,平和な世の中をつくっていくものだ
☆ 人間は憎しみをなくし,正しいことをしても自慢したりしないものだ

(4) 黒板に書かれた考えは,大きく2つに分けられると思います。何と何でしょう。

・ 「人間の成長」と,「自然と共に生きる」という2つに分けた。


・ 主題について考える本時の部分は,やはり唐突だった。対比やモチーフなど,主題を考える際の布石になるような学習をきちんとおこなうべきだった。見通しが甘かった。今後の課題としたい。


「海の命」のモチーフは

説明 物語はいくつかの事件が集まってできています。その全ての事件にわたって共通する事柄を中心題材(モチーフ)と言います。「海の命」のモチーフは何ですか。ノートに書きなさい。

※「モチーフ」は、作品によっては、中心的な事件、すなわちクライマックスが示す事柄と定義するときもある。
(参考 『向山洋一全集 50巻 向山型国語の授業の実践記』(P58~P68)

子どもたちから次の考えが出された。

モチーフ

死  3人
命 16人
夢  3人

第9時 朗読の評定 クライマックスの検討
朗読の評定をする
その後、指名なし朗読

説明 クライマックス(板書)
物語の中で、今まで同じだったところ、ずっと変わらなかったところがコロッと変わるところがあります。その場所をクライマックスといいます、日本語で「最高潮」と言います。
「海の命」では中心人物である、太一の考えがガラリと変わったところです。ある一つの文から、太一の考えがガラリと変わっているところがあります。それは、どの文からですか。ノートに、その文を抜き書きなさい。



『日本文学』巻9号、二〇〇五・九
54
立松和平「海の命」を読


「小説はどうにでも読める」わけではないと。そうでなければ、わざわざ教室で小説を読。
む意味はないだろう。児童自身が、さまざまな解釈の可能性を吟味し、こういうふうには読めないという判断の積み重
ねのはてに、こうとしか読めないというところまで教材を追い込んでいくプロセスを体験してくれたなら、表現の奥深
さを知る、魅力ある授業といえるのではないか。



授業Ⅰ 6年 国語「海のいのち」



6年生国語科学習指導案



「海の命」実践報告


他教材(「ごんぎつんね」) との比較を行う
物語の山とは,「登場人物の気持ちが大きく変わるところ」また,「物語の最後の方
に山が来ることが多い。」と指導する。その上で「ごんぎつね」の山を探る。「ごんぎ
つね」の山は,「ごんおまいだったのか」の部分である。ここで, 兵十の気持ちが憎し
みから後悔へと気持ちが18 0 °反転する。ごんの兵十に対するつぐないの行動がたく
さんあればあるほど, この後悔の気持ちが大きくなる。この反転の気持ちと, 後悔の気
持ちが大きくなる理由を図示しながらまとめ物語の山をとらえさせた。
( 3)「海の命」の山を想像する
物語の山の部分を示さず, 各自で想像して書かせる。物語の流れからすると「父の敵
をとることに執着している太一なのだから, クエをしとめる」という展開が十分に予想
できる。しかし,実際には, クエをしとめることはせずそこで止めてしまう。ここで,
「なぜやめてしまったのか」といった問いが生ずる。その問いの答えを見つけることが
主題をとらえることにつながっていく。


「主題を読みとる」


海の命(小6・光村図書)対比から主題文を書かせる



海の命」をクライマックスで授業し主題に迫る!
全発問・説明(主題と感想)


こうして並べてみると、一つの花の主題には、およそ2つの種類があることが分かります。
①どんな理由があっても,戦争は許されないものである。
・命の大切さ。
・戦争の悲惨さ
・平和の尊さ 等
②家族の愛情と人間の真実の強さ
・困難に負けずたくましく生きる。
・親子・夫婦の愛情 等

羅生門主題



  主  材(中心題材)
  主  想(中心思想)

 主題A
 
羅生門楼上での老婆との出会い
 
 新しい〈勇気〉の獲得
 生きることは謀叛である

 主題B
 
下人の心理の推移
 
生きんがために各人各様に持たざるを得ぬエゴイズム

 主題C
 
悪が悪の名において悪を許す世界の現前
倫理の終焉する場所に読者とともに佇った作者の「虚無の存在」

 主題D
 

 
善と悪を同時に併存させる矛盾体としての人間そのもの

 主題E

 
「因襲的道徳」にみちた昼の世界に対する夜の世界(雨の夜の羅生門)の構築


 

 主題F


 
 社会的秩序やモラルが崩壊しようとする変革期に、一人の青年がセンチメンタルで自己欺瞞的なヒューマニズムと未練がましいエゴイズムの呪縛から自己を解放し、反逆者としてしたたかに生きようとするイニシエーション・ドラマ

 主題G
 
飢え死にと盗み
 
無意識の悪
 
 鈴木良私見:主材…「飢え死に」か「盗み」かに迷う若者
主想…若者は、いつでも他人の論理を借りて成長するものだ




 研究史の上では、吉田によって提出された主題B「生きんがために各人各様に持たざるを得ぬエゴイズム」が定説としてあり、それに対する反論を試みる形で主題論争は展開してきた。
 主題Aは、いささか象徴的な言葉を使ってかっこいいが、下人の成長を〈生きることは謀反である〉と正当化するところまで評価するのはよくないと思う。なぜなら、盗人になることがよいことという曲解を生むからである。
 
 主題Cは、作中人物の老婆にメフィストを見つつ展開する論だが、下人を人間の代表として普遍化させてよいかに疑問が残る。また、作者芥川龍之介の境遇にも寄せた考えは、分析批評の見方からすれば、作者と作品は分けて考えるべきものであるからふさわしくないが、こういう考え方をする生徒もいるだろうと思われる。
 
 主題Dは、下人の人物像については、私も首肯するが、それを「人間そのもの」、すなわち人間全般に当てはめてよいかは疑問が残る。なぜならば、「下人」が、失職したにも関わらず危機感をあまり感じていない若者であるからである。
 
 主題Eは、「羅生門」という場を分析・考察し、「ミステリアスな雰囲気」を読みとっている。題名から主題を仮設する授業にはその方法が参考になる。
 
 主題Fは、科学的「読み」の授業研究会に参加する教師の提示したものである。長いので、主題の検証していくには扱いづらい。
 
 主題Gは、分析批評の手法に基づいたものである。「下人自身にとって盗人になることは、『飢え死に』とは無関係に、老婆の行為に対する憎しみからだけだったといえるわけです」(改訂版25ページ)に、私は反対だが、分析の方向と主想については賛成する。「無意識の悪」の存在を描くというのは主想のとらえとしては深いと思う。
 
 私見としては、『羅生門』の主題を、「飢え死にか盗人になるかに迷う若者」を主材として、「若者はいつでも他人の論理を借りて成長するものだ」としてみた。
 
 いささか疑問として残るのは、下人が未成熟なために、「飢え死に」を真剣に受け止め考えるという切迫感が感じられないので、二つの中心題材のバランスがうまくとれていないことと、主想の「他人の論理を借りること」を「成長」ととらえてよいのかどうか、である。